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2006年9月25日 (月)

京都より新都鎌倉へ赴く公家 12

 鎌倉時代の武士の方々のファッションは
 大凡、前回の様な感じになると考えられます。
 それらのカントリー風な装いにセンスアップさせた要因は、
 京都から下向 (出張) してくる落ち目の既存特権階級の方々。
 セレブの方は、一条能保と坊門姫 5 で紹介しました
 九条道家と西園寺綸子さんの息子さん、
 第4代鎌倉摂家将軍
 九条頼経 (1218~1256) (在職 1226~1244)

 彼のお爺さんで鎌倉幕府と京都朝廷と院の取り次ぎ役、
 一番美味しい立場の関東申次 (執奏)の西園寺公経。
 西園寺家は、後醍醐天皇 (在位 1318~1339)(1288~1339)
 の出現までとても役得がありました。

 1252年第6代鎌倉将軍
 宗尊親王 (1242~1274) (在職 1252~1266)
 に従って鎌倉に下り勧修寺 (上杉) 重房 (?~?)。
 宗尊親王の父は、後嵯峨天皇
 勧修寺 (上杉) 重房のご先祖さんは
 堀河 ・鳥羽天皇の乳母の藤原光子さんの兄、
 藤原為房 (1049~1115) でもっと遡れば、藤原北家良門
 ここの詳しい処は、「乳母 ・乳母子 ・乳母兄弟 」
              「藤原氏摂関家の奮闘」 でご覧下さい。
 勧修寺 (上杉) 重房の孫、上杉清子は足利貞氏の奥様になり、
 お二人は、足利尊氏 ・直義をもうけました。
 上杉家は、上杉謙信 (長尾景虎) で繋ぎ、
 吉良邸討ち入り時、上杉綱憲 (1663~1704) は屋敷で我慢、
 米沢藩の窮乏を助けた、上杉治憲(鷹山) (1751~1822) へ。
                  続く。

 尚、平安時代の公家 (貴族) 衣装は 「平安朝 衣装」 で。
   鎌倉時代の公家 (貴族) 衣装は 「鎌倉時代 衣装」 で。

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