京都より新都鎌倉へ赴く公家 12
鎌倉時代の武士の方々のファッションは
大凡、前回の様な感じになると考えられます。
それらのカントリー風な装いにセンスアップさせた要因は、
京都から下向 (出張) してくる落ち目の既存特権階級の方々。
セレブの方は、一条能保と坊門姫 5 で紹介しました
九条道家と西園寺綸子さんの息子さん、
第4代鎌倉摂家将軍
九条頼経 (1218~1256) (在職 1226~1244)
彼のお爺さんで鎌倉幕府と京都朝廷と院の取り次ぎ役、
一番美味しい立場の関東申次 (執奏)の西園寺公経。
西園寺家は、後醍醐天皇 (在位 1318~1339)(1288~1339)
の出現までとても役得がありました。
1252年第6代鎌倉将軍
宗尊親王 (1242~1274) (在職 1252~1266)
に従って鎌倉に下り勧修寺 (上杉) 重房 (?~?)。
宗尊親王の父は、後嵯峨天皇
勧修寺 (上杉) 重房のご先祖さんは
堀河 ・鳥羽天皇の乳母の藤原光子さんの兄、
藤原為房 (1049~1115) でもっと遡れば、藤原北家良門
ここの詳しい処は、「乳母 ・乳母子 ・乳母兄弟 」
「藤原氏摂関家の奮闘」 でご覧下さい。
勧修寺 (上杉) 重房の孫、上杉清子は足利貞氏の奥様になり、
お二人は、足利尊氏 ・直義をもうけました。
上杉家は、上杉謙信 (長尾景虎) で繋ぎ、
吉良邸討ち入り時、上杉綱憲 (1663~1704) は屋敷で我慢、
米沢藩の窮乏を助けた、上杉治憲(鷹山) (1751~1822) へ。
続く。
尚、平安時代の公家 (貴族) 衣装は 「平安朝 衣装」 で。
鎌倉時代の公家 (貴族) 衣装は 「鎌倉時代 衣装」 で。
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