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2006年9月13日 (水)

源義朝と坊門姫 6

 前回お話ししました様に、
 源頼朝のダイレクトの血脈は途絶えましたが、
 一世代アップすると頼朝の父源義朝 (1123~1160) は、
 平治の乱で平清盛に敗れますが、息子の頼朝がなし得なかった、
 帝との姻戚関係及び血脈導入を、お嬢さんのお陰で、
 やり遂げた事になります。
 朝廷、九条家(一条家、二条家)、
 閑院流西園寺家に、華麗?にも、関与する事になりました。
 但し、源義朝にとっては亡くなってから約60~80年後の出来事、
 彼は、その事実を知る由もありません。
 「こんな事」 が起きてしまう事が、面白い所以です。
 景気循環論に於ける最大波長の約50年周期説、
 通称、「コンドラチェフの波」 よりも、波長が長いのです。
 なぜか、今の世も (江戸時代より)、男性を中心とした
 歴史記述が施され、その様に刷りこまれますので、
 可笑しくお思いになる方がおられるかも知れませんが、
 視点を女性に変えますと、
 不可思議な歴史の流れが
 とても自然に流れていた事に気付きます。
 例えば、政治首都中心の考え方を脇に置けば、
 鎌倉時代と室町時代は首都移転の現象に留まり、
 今の組織でしたら、会社のヘッド (リーダー) 変更の人事異動。
 北条一族継承男性社長にリタイヤーして頂き、
 足利男性専務がヘッドになっただけです。
 女性側から見れば、何ら変化は起きていません。  続く。

☆ 「女性史の流れでは鎌倉時代と室町時代は途切れてない。」
     で詳しく記していますので、ご覧下さい。

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