源義朝と坊門姫 6
前回お話ししました様に、
源頼朝のダイレクトの血脈は途絶えましたが、
一世代アップすると頼朝の父源義朝 (1123~1160) は、
平治の乱で平清盛に敗れますが、息子の頼朝がなし得なかった、
帝との姻戚関係及び血脈導入を、お嬢さんのお陰で、
やり遂げた事になります。
朝廷、九条家(一条家、二条家)、
閑院流西園寺家に、華麗?にも、関与する事になりました。
但し、源義朝にとっては亡くなってから約60~80年後の出来事、
彼は、その事実を知る由もありません。
「こんな事」 が起きてしまう事が、面白い所以です。
景気循環論に於ける最大波長の約50年周期説、
通称、「コンドラチェフの波」 よりも、波長が長いのです。
なぜか、今の世も (江戸時代より)、男性を中心とした
歴史記述が施され、その様に刷りこまれますので、
可笑しくお思いになる方がおられるかも知れませんが、
視点を女性に変えますと、
不可思議な歴史の流れが
とても自然に流れていた事に気付きます。
例えば、政治首都中心の考え方を脇に置けば、
鎌倉時代と室町時代は首都移転の現象に留まり、
今の組織でしたら、会社のヘッド (リーダー) 変更の人事異動。
北条一族継承男性社長にリタイヤーして頂き、
足利男性専務がヘッドになっただけです。
女性側から見れば、何ら変化は起きていません。 続く。
☆ 「女性史の流れでは鎌倉時代と室町時代は途切れてない。」
で詳しく記していますので、ご覧下さい。
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