一条能保と坊門姫 5
一方、武家軍団の方々
超初期、源頼朝の息子達は、
鎌倉育ち故の、京都文化への憧れから、
それらの、京都公家文化に染まろうとします。
逆バージョンですと京都公家軍団は彼らを染めようとします。
この時空で鎌倉方と好美を結び、時読み的中した方(結果論)は、
一条能保 (1147~1194)
彼は、藤原道長さんの末裔になります。
とは云うものの、「道長さんがお亡くなりになって」 120年以上も
経過していますので、この時点では、数多いらしたと思います。
彼は、道長さんの次男坊、藤原頼宗 (993~1065)、
紫式部のお嬢さんの賢子 (大弐三位) と
大の仲良しさんだった事で有名な?お方の末裔にもなります。
能保の奥様は、頼朝の同母妹か姉である、坊門姫。
お二人のもうけたお嬢さん方、
お一人は九条兼実 (1149~1207) の息子、
九条良経 (1169~1206) に、
もう、お一方は、藤原閑院流、西園寺公経 (1171~1244) の、
奥様になり、
良経カップルの息子、九条道家 (1193~1252) と
公経カップルのお嬢さん、西園寺綸子 (1192~1252) とが
連れ合いになり (結婚した) 、五摂家の一条家と二条家が誕生。
又、公経カップルのお孫さんは後嵯峨天皇 (1220~1272)
の后になり、後深草天皇 (1243~1304) と
亀山天皇(1249~1305) をこの世に。 続く。
☆ 「道長のお嬢さん達と息子」 で詳細が確認できます。
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