鎌倉の都の女性達 14
それでは、女性のファッションはと云いますと、
男性と同じく、一部の高貴な方を除いて、
地味なスーパーカジュアルウェアーであった考えられます。
と云うよりも、分からないのです。
「吾妻鏡」 (鎌倉時代後期に成立?) には、
宗尊親王の奥様の服の記述は有るのですが、
得宗家の奥様 ・お嬢さん、安達家の奥様 ・お嬢さん等の方々の
お召しものを記載してくれていません?
ましてや、小京都と云われた鎌倉で過ごされていた
女性の皆さんの服は、皆目見当がつきません。
文武両道の鎌倉武士と云われる
北条 (金沢) 実時 (1224~1276) みたいな方もいらしたので、
どちら様かは、お書き下さった方がおられると思うのですが、
私ども、生憎、持ち合わせておりません。
話がそれますが、北条実時は清少納言の父、
清原元輔 (908~990) の係累の末裔、清原教隆に学んでいます。
この時代の、衣装 ・服の事柄が不明なのは、
お洒落心の無い男性特有の
「そんなもんに、かまっていられるか。」
と云う類の感性が蔓延していたという風に考えるのも
「とっても、癪ですし。」
何とか、残されている文献で探し出したいと考えています。 続く。
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