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2006年9月27日 (水)

ややオシャレは六波羅探題武士 13

 更に、下級公家の方で、
 三善康信 (1140~1221)  鎌倉幕府、問注所の初代執事
 大江広元 (1148~1225)  鎌倉幕府、政所の初代別当
 彼らは、1184年に鎌倉の赴いています。
 政治的な進言はもとより、京の文化を伝えたと考えられます。
 又、大江広元はさかのぼると、(養子縁組含む)
 大江匡衡 (952~1012) と赤染衛門に行き着き、
さかくだると、
 毛利輝元 (1553~1625) 、長州藩、明治維新へと

 以上の方々等の皆さんに京文化を移植されますが、
 如何せん、多勢に無勢、質実剛健?な東国軍団には、
 ほんの一部の方を除き、浸透する迄には至りませんでした。

 素材は、ラミー(ramie=苧麻)、色は地味目の自然色の感じ。
 鎌倉武士で、ややオシャレっぽい方は、
 京都出張 (六波羅探題勤め) を経験された皆さんだけだった。
 と、言い切るとお怒りになる方が存在したかも知れません。 続く。

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