ややオシャレは六波羅探題武士 13
更に、下級公家の方で、
三善康信 (1140~1221) 鎌倉幕府、問注所の初代執事
大江広元 (1148~1225) 鎌倉幕府、政所の初代別当
彼らは、1184年に鎌倉の赴いています。
政治的な進言はもとより、京の文化を伝えたと考えられます。
又、大江広元はさかのぼると、(養子縁組含む)
大江匡衡 (952~1012) と赤染衛門に行き着き、
さかくだると、
毛利輝元 (1553~1625) 、長州藩、明治維新へと
以上の方々等の皆さんに京文化を移植されますが、
如何せん、多勢に無勢、質実剛健?な東国軍団には、
ほんの一部の方を除き、浸透する迄には至りませんでした。
素材は、ラミー(ramie=苧麻)、色は地味目の自然色の感じ。
鎌倉武士で、ややオシャレっぽい方は、
京都出張 (六波羅探題勤め) を経験された皆さんだけだった。
と、言い切るとお怒りになる方が存在したかも知れません。 続く。
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