私 vs 私とあなたとかなた 30
布に色を付けて 「お洒落」 する気持ちが、
何時の世からか生まれたのか非常に興味がありますけれども、
如何せん、とんと解りません。
物の怪から身を守る事が先決だったとしたら、
ちょいとショックです。
何時の世も、山内一豊の奥様、お千代さんの決め台詞
「命あっての物種。」 であったのかも知れません。
この部分は譲らざるを得ません。
次のステップとして、雨露を凌げ毎日食事ができる暮らしのGET。
この段階に来ると、早くも首をかしげる情況になります。
お洒落心と食事との 「心の彩」 の格闘技。
一人称の世界に留まり続けるか、二人称以上を求めるのか。
ここが思案の分かれ道。
いえいえ、思案は要りません。
十中八九、万葉以前にお暮らしなっておられた方々は、
「同時進行・ややお洒落勝ち。」 であったと考えています。
「私が居て、あなたが居る」 ではなく
「あなたが居て、私が居る」 の時空間の世界です。
「私」 の存在は、私以外の方々が存在してこその賜物です。
これを煎じ詰めると最終的には36億年前?のアフリカの 「母」 に。
彼・彼女の為に 「ご飯も食べずにオシャレに走る」 に似てるかも。
昔、カール・◯クスさんの 「上部構造は下部構造」 には
甚だ感服致しましたが、この 「おしゃれ感覚」 の部分が
欠如している事に疑問がありました。
「粋で鯔背で、てやぁんでぇー感覚」 のお洒落な日本文化を彼が
見聞きして下さっていれば、又、違う展開になっていたかも・・・。
私(自己存在)を彼・彼女・みんなに認識させんが為の自己主張。
ZIPANGU的もの云いでは 「補色」。
故に、わざわざ 「布」 に 「色」 を施したのではないかと考えます。
「私は、ココにいますよーーー。」 って。 続く。
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