日本書紀 呉国 織姫 絹 59
嘘か誠か、誠か嘘かは知る由もありませんが、
『日本書紀
仲哀天皇 9年 新羅より絹・かとり(糸偏に兼)貢し。
応神天皇14年 漢人融通王、秦氏を率いて帰化し絹帛等を献ず。
応神天皇の朝 支那の帰化人 中略 呉国に遣わして、
織縫の工女 ~ 弟緩(おとひめ)略を求め来りし。
雄略天皇 6年 后妃をして親ら桑をとりて、
蠶(蚕)事を勧め給へる。』
と関根正直さんは述べています。
(正直さんは、谷川士清氏の引用です。)
従いまして、少なくても存在が確認されていると思われる
継体天皇(450?~531年?) 以前に、
この日本の国においても 「絹」 が生産されていたと考えられます。
聖武帝のお召し物は、極上の光沢を発していた 「絹」 素材です。
呉国は、魏・蜀・呉 「三国志」 で有名な孫権が治めた国。
三国志の光栄はみんなもう飽きたのかしらん
今はもう死語になりつつある 「呉服屋」 さん、
この呉服は呉の国からはるばる海を渡って
日本に来られた「織姫」さんに因んだ言葉。
牽牛さんには、年一回しかお会いできないとの事ですが、
この日本に、よくぞお越し下さりました。感謝の念に耐えません。
続く。
☆ 織姫さんのお話しは 「続 平安朝 (平安時代) 衣装」 で。
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