絹以前の事 白妙 60
『古語の衣装の地質を、
和妙(にぎたへ)・荒妙(あらたへ)などいへり。
妙は借字にて、拷(たぐ)のことを「タヘ」ともいへるなり。
拷は楮(こうぞ)ノ木にて、この樹皮の繊維にて織りたる布を、
ニギタといふ。
一説に拷を又カウゾとも云ふは、神衣(かみそ)の義にて、
白拷(しろたへ)の衣は、神の衣に製(つく)る故に、
神衣(かうそ)の樹と称せしなりと云ふ。
木綿(ゆふ)といへるも亦同じ。
拷の繊維を能く洗ひ晒して白くしたるを、
白妙(しろたへ)とも白木綿(しらゆふ)とも称せしなり。
荒妙の荒も借字にて、実は粗の義なり。
麻の皮の繊維を以て目を粗く織りたるものを云う。
元来「タヘ」とは拷の事なりしが、
広義には麻布をも、苧(お(ラミー))をも、
後には帛(はく)をも皆「タヘ」といへり。』
昔、むかしは、一万円札の原料が服の素材だったんです。
中学一年生時代の古文の教科書で登場する、万葉集。
「春過ぎて 夏来たるらし 白妙(拷)の 衣ほしたり 天の香具山」
女帝 持統天皇(645~702年) 作との事を、
ちらっとでも頭を過(よ)ぎりませんでしたかしらん 続く。
『』 は、「重修 装束図解 服制通史」 関根正直氏
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