「古事記」 の時代の大らかさ 35
眉目秀麗・泰然自若な美夜受比売(みやずひめ)様に
感服、仕りー。
「古事記」 の出来上がりが、712年と云われていますので、
その時代(とき)の文化の感性が 「かくのごとき」 の
「風情」 だったと考えて間違えないと思います。
とりあえず「チマチマ」しないで「オオラカ」だったんですよ。
おいたして、指先からちょいとでも「赤い液体」を見ただけで
驚愕する世の男性方、
「ワタシラー、月を経る度にそんなもんじゃごじゃりませんよっと」。
そんな癖して、後の世の殿方がお決めになったと思われる
「月の障(さわ)り・穢(けが)れ」 との認識注入。
それこそ何と穢らわしいお考え(発想)です事。
その発想を埋め込んだ殿方殿(とのがたどの)、
今の世じゃ毎日テレビで 「整理(セイリ)用品」 の
オンパレードですよ。「おったまげ(魂消)ー」
にならないで下さらなんしょ。
そんな見すぼ(窄)らしいお考えの刷り込みを
「私達」 は何も申し上げずに
「心には 下行く水の 湧きかえり
言わで思うぞ 言うにまされり」 ですよ。
なな何と、深ーくて、広ーい・・・・・。
杉本苑子さんは美夜受比売(みやずひめ)様の事を
『華奢(きゃしゃ)な君のスタイル、ほっそりした君の腕』
と表現されていますが、
スリムスタイル絶賛文化は、ほんのつい先だってから。
「ティファニーで朝食を食べなかった、ヘッブバーン様」からですよ。
その前までは、ちょいとふく(膨)よか皆さんが 「素敵」 って。
続く。
| 固定リンク
コメント