光明皇后と孝謙・称徳帝の心31
「みやび前の服(吉祥天女)十」 で
四文字熟語の元号についてお話しをしました。
杉本苑子さんが 『女性はどう学んできたか』 で、
「それまでの二文字と決まっていた年号を四文字にしたのも
則天武后─つまり則天大聖皇帝の時でした。 中略
光明皇太后はそっくりそれを真似ているのです。」
と書いておられます。
検証してみます。
約20年の間の5件の四文字熟語元号
最初が749年の 「天平感宝」
同じく749年に 「天平勝宝」、
757年には 「天平宝字」 に、
765年に 「天平神護」、769年に 「神護景雲」。
光明皇后さんの生没年 | (701~760年) |
藤原仲麻呂さんの生没年 | (706~764年) |
孝謙・称徳帝 の生没年 | (718~770年) |
749年 | 聖武帝がお嬢さんの孝謙帝に譲位 | 天平感宝 |
藤原仲麻呂さんが紫微中台(仮政府)の長 | 天平勝宝 | |
757年 | 養老令の施行 | 天平宝字 |
760年 | 光明皇后がご逝去 | |
765年 | 道鏡、太政大臣禅師に | 天平神護 |
769年 | 道鏡、法王の位に | 神護景雲 |
となりますので、少なくとも、天平神護と神護景雲の2件は
孝謙・称徳帝のご意志が入っている事に。
光明皇后と孝謙・称徳帝の親子二世代に渡り
「翔んでる女性」 だったのではないかと思います。
今の世の親子 「ペアールック」 だったりして? ドキッ。 続く。
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