桐壺・式部 頭中将・少納言 25
「寺町のミシンやのあんちゃ(兄)」 にしても
「新田の川向こうのあばちゃ(妹)」 のお姉さんも、
別にちゃんとした? 「姓・名」 はありました。
平安の世でも
「小一条院の大殿、大臣(おとど)」 さん
「頭中将(とうのちゅうじょう)」 さん
「桐壺」 さん・「式部」 さん
「少納言」 さん等々、
家が有る所の地名やお仕事に関する 「名詞」 で互いに
「誰々さん」 と解り合えました。
「分かり合える時空間だった。」 と云う事ではないでしょうか。
もそっと詳しくは、お暮らしになっていた(認識)空間が
広かったのではないでしょうか。
それで以て藤原道綱の母の命名は、
旦那様の兼家さんには 「奥様」 が何人もいらっしゃたっみたいで
特定できず、「藤原兼家の妻」 とできなかったからです。
みやびの藤原道長さん母ではありません。
次に和泉式部 (かわいそうですが生没年が不明) さんですが、
冷泉帝の息子さん達と 「浮き名を流した」 オ・カ・タ。超イカス人。
どの時にも翔んでる女性がいらして力強いっ。
和泉式部日記はその際のラブストーリーとか。
藤原道綱の母・和泉式部さん達みたいに
殿方の 「お気持ち」 を引き寄せるセンスを持ち合わせた、
みやび以前の女性が十中八九、
「紅の下褌 (シタハカマ) 前面出し」
ファッションを取り入れた張本人と考えています。
素敵なファッションリーダーさん達に脱帽。 続く。
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