紅袴と藤原道綱の母 23
紅の下褌は、又、何かの機会に・・・。 でもちょっと躊躇しながら。
平安時代の初期までは、
法律破りの淑女の方々がいらっしゃいましたが、
その後の時代の女性達は何と、
『褶(ひらみ・後覆い腰下ロングエプロンドレス)を纏う風は
引き続き、平安朝時代初期に入りても依然廃(すた)らず。
その上後期には反対に、裙
(うわも・前覆い腰下ロングエプロンドレス)
廃れて褶のみが残り、
盛んに赤き下褌を出す様なる奇現象を呈したり。』 ですって。
「大胆不敵」 「前人未踏」 「風光明媚?」
藤原道綱の母(936?~995年)、和泉式部、清少納言、紫式部、
赤染衛門さん達の時代の前には
既に 「後覆い腰下ロングエプロンドレス」 は
「裳」 と云うアイテムに変化していました。
「知っている人は知っている・知らない人は知ーらない。」
もんですから、ちょいと。(手前味噌ですが、この舞絽倶(ブログ))
キッズgooの検索で見に来て下さるお子様達が多いんです。
彼女・彼らにお分かりになって頂く為に。)
くどいと思いますが、藤原道綱(959~1024年) さんは、
みやびな世をお作りになった道長さんと兄弟で7歳上のお兄さん。
彼のお母さんは藤原兼家(929~990年)さんの奥さんになります。
女性の日記 (ブログ) のいっと最初と云われている 「蜻蛉日記」
を書かれた方。 続く。
☆ 今日は節分 お豆、鬼、柊、鰯の頭以外に関西地方では、
メジャー?だった「恵方巻き」と云う海苔巻き寿司が、全国区
ファッション (流行り) になった様子。
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