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2006年2月 1日 (水)

紅の下褌・紅袴? 22

 『元来女服には、表袴(ウエノハカマ)といふ物なきにより、
 裙(うわもを除けば、
 表着 (ウハギ) の両褄 (りょうづま) の合せ目より、
 紅の下褌 (シタハカマ) をあらはす。』 
 あーらちょいと困る 正直さん
 『之(これ)を憚(はばか)りて後の褶(ひらみ)を去りとも、
 前は裙を以て覆う様にしたるならむ。』
 と書いてあるんです。
 褄(つま)は奥様ではなく、つまんない事はよして置いて、
 着物の端の部分、ガウンの前端でーす。
 この状景は恥ずかしい。
 だからこの世の女性 (平安時代の初期まで) は、
 法律に従わず褶(ひらみ)を着用していたそうです。
 何と、おしと(淑)やか。
 気になるのは、紅の下褌の 「褌」。
 どうして正直さん 「袴」 (バギーパンツ) と
 お書き下さらなかったのか? 「下着」 の表現かしらん。
 明治・大正・昭和時代をお過ごしになった正直さんは、
 「推して知るべし。」 と
 今の世にいる私共のお教え下さっているのか?
 でも 「褌」 って、お祭りの際に逞 (たくま) しい男の方々が、
 胴回りと 「どうした」 (胴下)にお巻きになっている
 白い綿の「布」何ですもの。 はしたな・・・。 続く。

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