« みやびと服(十二単) 63 | トップページ | 奈良朝の服(養老令)一 »

2005年12月15日 (木)

十二単 五色の糸 と をかし 64

 やがて、確かに藤原道長さんお体の塩梅が
 以前にも増してお悪くなりました。
 ご年配の方々のお話しを伺いますと、
 「年を取ると、どこかしこか具合が悪くなるもんだ。」 との由。
 「◯◯◯らしい」 は素敵な事って、清少納言さんも。
 皆さんお年をめしても 「お元気過ぎ」 なら、
 後がつか (支) えちゃう?

 道長さんのご子息さん達、
 以後、若干 「力」 をそ (削) がれますが、
 脈々と約920年程おつな(繋)ぎなさいました。
 否、現在も。
 頼通さんは、五摂家として。 今の近衛さんは、日本十字の社長。
 長家さんは、藤原俊成・定家へ。 「小倉百人一首」
                           今の京都の冷泉さん。
 今も続いているこの事実。道長さんもびっくりか?
 道長さんがお亡くなりになった所は 「法成寺」。
 これが 「御堂関白記」 の 「御堂」 (法・成・寺)。

 「栄花物語」 によりますと 「ご臨終」 の際、
 藤原道長さんは、
 仏様と五色の糸(絹糸)で結ばれておられたとの事。
 その 「色」 は、青(春)・(夏)・白(秋)・黒(冬)・黄(上がり)

 
 又、「書の三蹟」 のお一人で清少納言さんと同志?だった
 藤原行成さんもこの日にお亡くなりになったそうです。

 道長さんと 「五色の糸(絹糸)」 との繋がり、

                最後の最後まで 『いと(糸)をかし。』  

☆ 栄華物語は道長さん絶賛記述です。
  片手落ちはいけませんので、「小右記」 (藤原実資) の内容は、
  1027年11月
  体調が芳しくなく、法成寺、阿弥陀堂に移る。
  1027年12月2日
  背中のおできが痛く針を刺し膿み出しを試みた際、痛すぎて絶叫。
  1027年12月4日 寅の刻
  奥様の倫子さん、お嬢さんの彰子、威子さん、息子の頼通さん達
  をはじめ天台座主や多くの公卿が見守る中、
  あの世に 「旅立たれた。」 と 記載されているとの事。

藤原道長さんの詳細は
「平安時代のキャリアウーマン」

 次回からは、みやびの世以前、飛鳥 ・奈良時代のお話しを
 展開しますので、是非、引き続きご愛顧下さい。

|

« みやびと服(十二単) 63 | トップページ | 奈良朝の服(養老令)一 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 十二単 五色の糸 と をかし 64:

« みやびと服(十二単) 63 | トップページ | 奈良朝の服(養老令)一 »