十二単 五色の糸 と をかし 64
やがて、確かに藤原道長さんお体の塩梅が
以前にも増してお悪くなりました。
ご年配の方々のお話しを伺いますと、
「年を取ると、どこかしこか具合が悪くなるもんだ。」 との由。
「◯◯◯らしい」 は素敵な事って、清少納言さんも。
皆さんお年をめしても 「お元気過ぎ」 なら、
後がつか (支) えちゃう?
道長さんのご子息さん達、
以後、若干 「力」 をそ (削) がれますが、
脈々と約920年程おつな(繋)ぎなさいました。
否、現在も。
頼通さんは、五摂家として。 今の近衛さんは、日本赤十字の社長。
長家さんは、藤原俊成・定家へ。 「小倉百人一首」
今の京都の冷泉さん。
今も続いているこの事実。道長さんもびっくりか?
道長さんがお亡くなりになった所は 「法成寺」。
これが 「御堂関白記」 の 「御堂」 (法・成・寺)。
「栄花物語」 によりますと 「ご臨終」 の際、
藤原道長さんは、
仏様と五色の糸(絹糸)で結ばれておられたとの事。
その 「色」 は、青(春)・赤(夏)・白(秋)・黒(冬)・黄(上がり)
又、「書の三蹟」 のお一人で清少納言さんと同志?だった
藤原行成さんもこの日にお亡くなりになったそうです。
道長さんと 「五色の糸(絹糸)」 との繋がり、
最後の最後まで 『いと(糸)をかし。』
☆ 栄華物語は道長さん絶賛記述です。
片手落ちはいけませんので、「小右記」 (藤原実資) の内容は、
1027年11月
体調が芳しくなく、法成寺、阿弥陀堂に移る。
1027年12月2日
背中のおできが痛く針を刺し膿み出しを試みた際、痛すぎて絶叫。
1027年12月4日 寅の刻
奥様の倫子さん、お嬢さんの彰子、威子さん、息子の頼通さん達
をはじめ天台座主や多くの公卿が見守る中、
あの世に 「旅立たれた。」 と 記載されているとの事。
「平安時代のキャリアウーマン」 で
次回からは、みやびの世以前、飛鳥 ・奈良時代のお話しを
展開しますので、是非、引き続きご愛顧下さい。
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