匂い(花名が色名に) 44
みやびの時の 「色」 をお話しのま・と・め。
ここからの 『』 は十八回で紹介しました山崎さんの引用です。
『古代の色名は中国から伝えられた赤、朱、黄、青、紺、縹、黒
などそのままの文字に日本のよみかたがつけられて日本の色名に
なった。』
『染材料その名が色名になった、蘇枋で染めた色が蘇枋色、丁子
で染めた色が丁子色、うこん(鬱金)で染めた色が鬱金色・・・。』
『平安時代には花名が色名になった。紫苑、桔梗、桜、紅梅・・・』
花の名が色名で書き残されている書物が、(写本で現存する。)
今現在は 「西宮記」 との事。
『北村哲郎氏は王朝の彩飾の中に次のように書いてある。
いつ頃からそうした襲色目に四季の花の名を付すようになった
のかは明らかでないが、装束の色目に植物名を当てることは、
十世紀中末期の著述と思われる源高明の「西宮記」に下襲の色目
について、桜、藤、柳、紅躑躅という表現が、蘇枋、二藍などという
色名と共に使われているから、かなり早くからのことであったと考え
られる。おそらくそれは衣服の形状や呼称が中国式から国風へ
転換した十世紀初頭に遡り得るのではないかと
思われるのである。』
下襲は、Mens Wearでシャツの後身頃がとても長い物。
源高明(914~987年)さんは、醍醐源氏。
お父さんは、ご存じ、「古今和歌集」 のお作りを命じられた
と云われている醍醐帝(885~930年)
続く。
☆ 花名が色名になっている詳細は 「襲色目と重色目」 で。
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