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2005年9月 9日 (金)

十二単(清少納言)十七

清少納言でーす。  「貴女は誰

 「清少納言

 「紫式部

 「末摘花?」

 「見返り美人

  そんな訳は

    ないか。

「重修装束図解服制通史」 関根正直 昭和7年5月5日の原画彩色。

「十二単の大きい絵」 はこちらへ。

「枕草子に登場する衣装」 の詳細はこちらへ。
 中宮定子 ・淑景舎 ・清少納言らがお召しになった十二単を
 枕草子の記述に則り、彩色してみました。 是非ご覧下さい。

「十二単の詳しい資料」 はこちらへ。
 ・布 (素材)・色 (カラー)・形 (シルエット)
 ・十二単の重さの不可思議さ
 ・十二単の袿 (うちき) と唐衣 ・小袿の生地の厚み
 ・重さと厚みの問題を解きほぐす 「小石丸」
 ・十二単は単品12枚 (領) でなかった文献記述
  等々を記してありますので、ご覧下さい。

「平安時代のキャリアウーマン(女房)」 の生き方はこちらへ。
 平安朝のみやびな世界を織りなした、清少納言、紫式部さん達、
 その経済的基盤を担った藤原道長さんを支えた女性達の果敢な
 生き方につきまして記しています。

 「十二単」 のファッション性について。
 その前に、「ファッション」 の広辞苑での説明は、

ファッション 【fashion】
はやり。流行。特に、服装・髪型などについていう。
また転じて、服装。

 となっています。ここで語る 「ファッション」 は、「はやり」・「流行」
 の意味合いを除いて、「服装」 と云う事で展開します。
 故に、ファッション性とは、「十二単」 の 「お召しもの」 において、
 何処らへんが 「カッコイイ (格好良い)」 か、
 私どもがよく使う 「オシャレ (お洒落)」 か、云うことです。
 先ずは、「色」 の妙からお話しします。  次回へ。

「十二単の単品の絵」 はこちらへ。

 ★ 嬉しいニュースがありました。
  九月七日付け日本経済新聞の朝刊に
  「宗達の屏風絵、制作年判明」 と云う記事が載っていました。
  俵屋宗達が描いたと云われている
  「関屋澪標(みおつくし)図屏風」 制作年が1631年と
  特定されたとの事。
  「源氏物語」での「空蝉 (うつせみ)   vs 光源氏」
          「明石上(あかしのうえ) vs 光源氏」
   のお話を 「絵」 にしたと云われてます。
  この絵には、
  「空蝉」 様 「光源氏」 様 「明石上」 様が居ません。
  前のお二人は牛車 (おくるま) の中、
  最後の方は舟の屋形の中と。
  お三人様の 「お姿」 を描かず 「想像」 させるわざ (技)。
  もう何とも 「オシャレ(お洒落)」。
  それとも、宗達さんが 「想定」 できなかったのかしら
  私共(的?)には、俵屋宗達でしたら澪標よりも
  「かわゆい風神様・雷神様」 の 「絵」 の方が大好き。
  「歴史」 は日々アップデート (新しく) されるっと。

 ☆ 俵屋宗達の詳細は 「本阿弥光悦⇔俵屋宗達」 でご覧下さい。 

 ★ 2006/12/27のニュースで某セクシー女優さんが結婚式で 
  十二単をお召し下さるとの情報です。
  聞く所に依ると、彼女は平安後期に活躍された
  平家の末裔らしいです。さぞかし、
  平家のドン(西班牙語(スペイン) Don)の平清盛もビックリか?
  又、着物の柄が平家一門の表意文様、「向かい蝶」。
  ショートジャケット (唐衣)、in ガウン (表着)、のどちらかに
  向かい合った蝶を刺繍されると思うのですがどっちでしょう?
  十二単でこの柄は珍しいかも知れません。
  更に襲色目のカラーコーディネートも楽しみです。
  京都の某所で今作製されているとの事です。
  向かい蝶のデザインは遠目で見るとかなり 「セクシー」 です。
  でも、彼女の演出にはもってこいとも感じますが???
  この蝶の文様は 「家紋の湊 動物文」 で確認できます。
   2007/1/4

★ 平氏の末裔のフレーズ (phrase) が出ますと、
  何時も気になります。大概は、1185年壇ノ浦決戦で敗者に
  なった平氏の皆様が頭に浮かぶと思いますが、
  この闘いに参加しないで関東に昔からいらした
  平氏の末裔の 「北条氏」 らも平氏血流です。
  「平家にあらずんば、人に非ず。」 と豪語された平氏ですので、
  日本全国に末裔は存在すると思います。
  武家政権の時代より 「人」 ではなく 「家」 を中心とする発想に
  転換した事に重きを置かず、女性血脈で考察しますと、
  平清盛が曾お爺ちゃんになる、とても長命だった藤原貞子さん
  後嵯峨帝の奥様になり、後深草 ・ 亀山帝をこの世に。
  未だこの時代は、平安みやびの残り火がありましたので、
  藤原貞子さんも煌びやかな十二単を纏っておられたと考えます。
  又、「十二単」 と云われるのもこの時代頃からになります。
  更に、この頃は、「五衣」 インナーの枚数が5枚から10枚の例も
  ありますので、この鎌倉時代の 「十二単」 は凄まじい限りです。
  詳しくは、「鎌倉衣装、十二単の変遷」 をご覧下さい。
  2007/1/10

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